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【エルサレム】 嘆きの壁

エルサレムの旧市街にある嘆きの壁は、ユダヤ人にとって魂の故郷ともいえる聖地です。
この壁は、紀元前20年にヘロデ大王が、改築、拡張したエルサレム神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分です。

エルサレム神殿の歴史は長く、紀元前10世紀にソロモン王が建設したソロモン神殿が始まりです。
このソロモン神殿は、バビロン捕囚の際に破壊されてしまい、紀元前515年にバビロン捕囚からの解放後のゼルバベルが指揮して第二神殿を再建しました。

そして、紀元前20年にヘロデ大王が、ヘロデ神殿として改築、拡張したのです。
聖書には、イエスがこの神殿を訪れた時の記述があります。
けれども、このヘロデ神殿もローマ帝国軍と、同盟軍によって、破壊されてしまいました。これは、紀元前70年に起きたユダヤ戦争と言われるローマ帝国とローマのユダヤ属州に住むユダヤ人との間で行われた戦争が起こったためです。
この戦争でユダヤ人々は、ローマ帝国軍から兵糧攻め、磔、聖所に放火などで大虐殺されました。

この戦争で失われたエルサレム神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分だけが残ったのですが、1900年の間、ユダヤ教徒はエルサレムへの立ち入りは許可されませんでした。
4世紀になって、1年に1日ヘロデ神殿崩壊の日だけ立ち入りが許されるようになり、ユダヤの人々は、失われたエルサレム神殿を悲しんで祈るために、嘆きの壁と名付け、祖国の復興を祈りました。

その後7世紀には、パレスチナ地方はイスラム教徒のものになり、ユダヤ人にとっての聖地は、イスラム教徒にとっての高貴なる聖域ハラム・アッシャリフになり、宗教間の葛藤を生み出しました。
そして、1967年に起こった第三次中東戦争で、ユダヤ教のラビを中心とするイスラエル軍が東エルサレムをヨルダンから帰還し、嘆きの壁を解放したのです。

このことにより、ユダヤの人々は、エルサレム神殿が破壊されてから1900年経ってからやっと自由に祈りを捧げることができるようになりました。
これだけの歴史と人々の祈りが濃密な場所ですから、壁から涙が出ても不思議はないパワースポットですね。